心の叫びを文字へおこす

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ふと、鏡に映る自分に問いかけることはないだろうか。「俺、このままでいいのか」と。

責任だけが増えていく役職、家庭での役割(妻の仕事は忙しく夕飯作りはほとんど私。子供達の送迎も重なる)。漠然とした将来へ不安は増す日が続いた。

かつて抱いていたはずの情熱はどこへやら、心には得体の知れない重りがずっしりとのしかかる。これは、多くの人が口にする「ミッドライフクライシス」という言葉だけでは片付けられない、私たちの世代が抱える切実な心の叫びなのかもしれない。

見えない壁 ― 私を縛り続けるもの

学生時代から、私には見えない壁が常にまとわりついていた。それは人と対面で話す、「ただそれだけ」のことなのに、今でも恐怖を感じる。誰かと目が合うと、頭が真っ白になり、肩や頬がこわばるのが自分でもわかる。まるで、自分だけが透明な壁に閉じ込められているような感覚。これは、「社会不安障害」症状の一種らしい。

この感覚は、私の人生のあらゆる場面で、人間関係における深い悩みとなってきた。友人といても、同僚といても、どこか心の距離を感じてしまう。いや、自分から距離を取りたいのだ。傷つきたくないから。

その根底には、常に「うまく話せない自分」への強い自己否定があった。

この見えない壁が、私を強く精神的に追い詰めた。さらなる追い打ちをかけた直接的な原因は、皮肉にも仕事での役割だった。

私はもともと、本が苦手で読んでこなかった。その影響で語彙力が乏しく、自分の考えを言葉にする「言語化」が大の苦手でした。もちろん、このままではいけないと、新聞のコラムを要約したり、読書感想文をSNSにアップしたりと、自分なりにもがいてはきた。しかし、周囲の優秀な同僚たちが、巧みなコミュニケーションで次々と仕事を回していく姿を見るたびに、圧倒的な劣等感に打ちのめされていました。


「気にしすぎだよ」「大丈夫」

そんな優しい言葉さえ、「どうせ本心じゃないくせに」と、歪んで受け止めてしまう。。

台本さえあれば、役者のように堂々と話せるのに。

どうしても人前で台本無しで話すと頭は空っぽになり、心は上の空(語彙力低く+社会不安障害)。

このダブルパンチが、私の存在価値そのものを揺るがした。

「私は、ここにいていいのだろうか?」

チームへの指示もままならない。会議で気の利いた一言も言えない。そんな自分が、中間管理職という立場でいること自体が、組織にとっての損失なのではないか。そのプレッシャーが、ついに私を鉄のように固く動けなくしてしまったのでした。強い劣等感が、私を蝕んでいった。

書くことは、生きること ― 再生のための闘病日記

休職――。それは、私の人生における「強制終了」であり、同時に「再起動」の合図でもあった。この期間は、私にとってうつという状態と向き合う時間となりました。

この休職を機に、私はnoteを始めることにしました。それは、長年のコンプレックスだった「書くこと」への挑戦であり、自分自身の心を整えるための「闘病日記」でもある。

自分の思考のパターンを客観的に見つめ、何が自分を苦しめるのかを理解する。それは、再発予防のための、いわば「心の習慣づくり」にもなると思っています。特別な治療だけでなく、こうした日々の地道な実践の中にこそ、心を軽くするヒントが隠されているのかもしれない。

このnoteは、「社会不安に向き合うチョッパーの奮闘記」です。

自分への賞賛、激励、そして戒めを込めて、正直な気持ちを綴っている。そして、もし同じように息苦しさを感じている人がいるのなら、この奮闘記が、少しでも心を軽くする一助になればと心から願っています。



小さな一歩が、未来を変える

話し方がうまくなりたい。

言葉を紡ぐ力を手に入れて、もっと豊かな人生を歩みたい。

その思いは、今も変わらない。

かつては、その思いが強すぎるあまり、自分を追い詰めてしまった。しかし今は少し違う。焦らなくていい。完璧じゃなくていい。ただ、今日の自分にできる、小さな一歩を踏み出すこと。その積み重ねが、いつか必ず、私を新しい場所へ連れて行ってくれると信じている。

これは、特別な誰かの物語ではない。あなた自身の物語であり、私自身の物語だ。もしあなたが今、暗闇の中にいるのなら、思い出してほしい。夜が明けない日はないように、心の闇にも、必ず光は差し込む。その光を見つけるための旅を、私はここで、あなたと共に歩んでいきたい。

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